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【コラム02】合田洋の運鈍恨あるいは、シンデレラストーリーの幕引き 

記 2004年12月11日

 合田洋というプロを覚えているだろうか。
 10年前、全くの無名でノーシードのプロ入り10年目の選手が、日本プロ選手権で、最終ホール、バンカーからパターを使って寄せパーをとり、当時無敵のジャンボ尾崎を振り切り優勝し、メジャーチャンピオンとして10年シードを手に入れシンデレラスートーリを成し遂げ、シンデレラボーイして脚光を浴びた張本人だ。バンカーからパターを使ったことにより賛否両論巻き起こり(今では忘れられないシーンとして伝説になったが)、なんとしても次、実力で勝つことを本人自信望んだが、その後、予選通過もままならずその年を終えた。次年より10年シードの権利で、ほとんど全試合出場するも、いずれも賞金シードは取れなかった。

 ゴルフツアーにおいて1勝目は勢い(ノンプレッシャー)できるが、2勝目するのが難しく、それを乗り越え本当に実力のあるトッププロになるとという定説がある。実際、1勝で終わり、時代の流れと共に寂しくトーナメントプロとして忘れされれるプロも多い。合田洋もそういった一人になるのかと思っていたところ、2003年12月の沖縄オープンで突如、強風の中3日目まで首位を守り最終日スコアを落とすも2位タイになり、来シーズン(2004年の賞金に加算される)、10年シードの権利の最終年で賞金シードを奪還できるか話題になった。そして今年、いつもと同様、鳴かず飛ばずの状態で最終戦の前まで賞金ランク73位に付けていた。最終戦カシオワールドで予選を通過し、念願の賞金シードを獲得した。

 10年間、ほぼ出場できる試合は全て出場したど性と、同じよう境遇で全英オープンチャンプ、イアン・ベーカフィンチが80台以上のスコアでしか廻れなくなり、恥ずかしなったとツアープロ辞めたほどの繊細さはなく感だったこともあり(実際、合田は80台しか廻れなくなるほど酷くはなっていないが)、それとがあったことで成し得たと思う。どのような運があったかは、合田自身は感じているはずだが、検証していきたい。

 日本には、歴史的に外敵から征服されるというピンチに「神風」が吹き、征服されずに来たという歴史的事実が伝説となっている。その神風が吹き、ゴルフの神様が合田にのみ微笑んだのだ。それが1994年のレイクグリーンCCでの3,4日である。この時、強風で皆スコアを崩す中、合田一人がバーディを重ね2位と5打差がついていた。それから10年間の時を経て、2003年の ザ・サザンリンクスGCでも2,3日目、同じような強風の中、パーでまとめた合田が首位にたったのだ。これこそ、だったのだ。

 確かに、運があったかもしれない。しかし合田は、どちらも10年前は次の1日を耐えて最後でパターを使って実力で賞金シードを取り、それから10年後は丸1年間を耐えに耐え最後の最後で実力で賞金シードを取ったのだ。シンデレラのように一夜にして手にした夢を、十年という猶予を使い切り、自問自答しながら最後に自力で現実へと降り立ったというストーリーで幕引きになるのであろうか。
 いや、明らかに第2幕の始まりである。
 合田洋という男の今後を10年斯けて見守っていきたい。

(了)


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